2015年6月17日水曜日

救急車を有料化すべきかどうかについての話

 先日、Yahoo! ニュースで以下のような記事が掲載されました.


救急車は有料化すべきか…搬送者ほぼ半数は軽症、緊急時の影響懸念参照

 内容はガバガバなんですけど、産経ですからまあ・・・という感じです.
 救急車を有料化すべきかどうかの前に、なぜ救急要請が増えているのか、その背景への考察が乏しく、実りのない議論になっています.救急要請増加の背景としては、ひとつに高齢化の進行による医療ニーズの単純な増加があるでしょうし、マルチプロブレムを抱える高齢者が臓器別に分断された医療を施されていて、それが破綻することによる医療供給体制の問題もあるでしょうし、人口の流動性が高まって、老老介護や施設介護などが常態化すること、あるいは核家族化が進むことなどの、家族像の変化の問題もあるでしょう.

 帝京大のお医者さんがどういうトレーニングを積まれたのか知りませんが、恐らく長い間救急の初期診療などに関わりもしない人が「不適切利用が多いから有料化」なんて言っているわけで、現場感の乏しさ、医療者としての器の狭さに目を覆いたくなる内容です.一般市民、特に老老介護で体調も悪い時に「適切利用」を判断することなどできないでしょう.また、医学界が一般市民向けに十分な教育や相談窓口を提供してきたかというと、お粗末極まりないわけですから、自業自得の面もあるわけです.

 対するNPO理事の方も、ご自身の体験として苦労されたのは理解できますが、不安だから無料にしましょうという発想で制度設計できるわけではありません.資源は希少ですから適切な利用を考えるわけです.また、憲法25条を救急車制度に直接引用するのはあまりに理論が飛躍しています.

 自分はもはや、完全に医療従事者としてしか発言できませんが、それでも日々、診療をしていて患者・家族の「不安」がいかに大きいか推測はできます.(失礼な言い方になりますが)素人目線で考えることを忘れてはいけないと思います.また、日本の社会人として、少々の熱や風邪で会社を休めないというのは理解はすべきと思います.救急車や、時間外外来の不適切利用は、ただ「救急車を有料化」というような矮小化した問題提起にあてはめられるべきではありません.ましてや、患者・家族への批判となるべきではないと思います.できることはまだまだあると思います.

2015年6月12日金曜日

ランセット誌より セミナー;中東呼吸器症候群

Seminar; Middle East Respiratory Syndrome
The Lancet. 2015 Jun 03.
Alimuddin Zumla, David S Hui, Stanley Perlman. 


要旨

 中東呼吸器症候群(MERS)は、新型のシングルストランド・プラスセンスRNA ベータコロナウイルス(MERS-CoV)による、致死率の高い呼吸器疾患である.MERS-CoVの宿主であるヒトコブラクダは、直接あるいは間接的にヒトへの感染に関与しているが、正確な伝播様式は不明である.このウイルスは、2012年6月にサウジアラビアのジッダで重篤な呼吸器疾患により死亡した患者から初めて分離された.2015年5月31日までに、1180例が検査室で確認された症例(うち483人が死亡、死亡率は40%)であると、WHOからの報告がある.大部分のMERS症例は、サウジアラビアとアラブ首長国連邦で発生しているが、中東からの旅行者や、中東で患者と接した者によりヨーロッパ、アメリカ、そしてアジアでも発生が報告されている.MERSの臨床的特徴は、無症状や軽い症状から、急性呼吸窮迫症候群(ARDS)や多臓器不全から死に至るものまで様々である.特に、なんらかの基礎疾患のある者では重症化しやすい傾向がある.MERSに対する特異的な薬物治療は存在せず、医療施設での感染拡大防止のための、感染予防およびコントロールが極めて重要である.MERS-CoVは依然として風土病であり、低レベルの公衆衛生上の脅威である.しかし、ウイルスはヒトーヒト感染を起こしやすくなる突然変異を起こす可能性もあり、パンデミックを起こす可能性は増大している.

本文


地理的分布および調査

 2012年6月にサウジアラビアのジッダで最初の報告.その後、2015年5月31日までにWHOで把握されている症例は以下のとおり.サウジアラビア、アラブ首長国連邦での報告がほとんどであるが、その他の地域でも報告がある.アラビア半島周辺が多いが、中国、東南アジアなどでも報告がある.遠方の地域では、韓国はかなりの症例数があることがわかる.




ウイルス学

 複雑かつ専門的であるため割愛する.シングルストランドRNAウイルスであるが、ゲノム解析はされていて、特異的な塩基配列がPCRの標的として知られてる.

疫学

 まず大前提として、MERS-CoVの正確な感染源・感染様式は不明である.
 コウモリに感染するコロナウイルスとMERS-CoVが、ヒトの同じ細胞受容体を利用して感染することがわかっている.しかし、コウモリからMERS-CoVが検出された例は未だない.その他に、アラビア半島における他の動物における、MERS-CoV感染の血清学的検証を行ったところ、オマーンのヒトコブラクダでは100%が、Canary Islands (スペイン)では14%が、抗MERS-CoV抗体を持つことがわかった.一方で、牛、ヤギ、羊からはMERS-CoVは検出されなかった.

ラクダからヒトへの感染

 ラクダからの感染がMERS-CoV感染症に関連しているが、ラクダと接触した患者はほとんどいない.しかしこれは、より直接的でない方法での曝露による、交絡と考えられる.すなわち、サウジアラビアでは珍しいことではないが、ラクダの乳を未滅菌のまま飲用することで、感染源に曝露していたと考えられるのである.しかしいずれにせよ、ラクダとの接触が乏しいにも関わらずMERSを発症することは、ヒトーヒト感染が主体である可能性や、他の媒介生物が存在しており、ラクダーヒト間での感染の交絡因子となっている可能性などを示唆する.
 また、これまでMERSの発症は一年を通して報告があるが、季節性はありそうである.上記のFigure 1からは、2013年および2014年は4-5月に多いが、2014年では9-10月にも小さなピークがある.

ヒトからヒトへの感染

 ヒトーヒト感染については、疫学調査とともに、遺伝子学的調査も行われている(疫学調査:発症した場所、接点はどこか、リスクは何か、など / 遺伝子学的調査:検出されたウイルスを解析して、同じ遺伝子配列を持つかどうかで直接の伝播か、持ち込みによる感染かを確認する).感染の大部分は飛沫感染または接触感染の形をとると思われるが、空気感染やその他の媒介による感染の可能性も否定はできない.
 また、MERS-CoVの伝播には感染患者やその疑いのある患者との濃厚接触が必要とされているが、一方で実際に濃厚接触したとしても実際に伝播した例はほとんど観測されていない.R0(基本再生産数、一人の患者が何人にうつしたか)は、MERS-CoVでは0.7未満とされていて、SARS CoVが1以上とされているのに比して感染力は小さいと考えられている.

臨床症状

 MERS-CoV感染症は、無症候性感染から重篤な肺炎、ARDSを伴うものや敗血症性ショック、多臓器不全などにより死に至るものまで多岐にわたる臨床経過をとる.MERSとSARSの臨床症状の比較については以下のとおり.


 潜伏期は平均5.2日で2週間以内に発症.現時点で再生産数は1未満である.感染者は大人が多い.死亡率は40%に達しており、SARSの9.6%に比べるとかなり高い死亡率.また増悪するスピードも1週間前後で人工呼吸器管理に至るケースが多いのに比べて、SARSは11日間が平均である.
 症状として多いのは、発熱、悪寒戦慄、咳嗽などであるが、呼吸器感染症に非特異的に見られる所見である.検査としては、SARSと同様重症ウイルス感染症として、白血球減少、特にリンパ球減少が見られることがある.その他に、消耗による凝固異常、クレアチニンや乳酸デヒドロゲナーゼ(LDH)や肝酵素の上昇などが見られることがある.また、他のウイルスとの共感染(パラインフルエンザ、ライノウイルス、インフルエンザAウイルス(H1N1) pdm、単純ヘルペスウイルス、インフルエンザBウイルス)や、細菌感染(Klebsiella pneumoniae, Staphylococcus aureus, Acinetobacter spicies, Candida spicies)などの報告もある.
 検査は胸部レントゲン検査、血液検査、尿検査、糞便検査、呼吸器検体などを対象に行う.レントゲン上ではARDSの所見を始め様々な所見を認め得る.ウイルスゲノム等は呼吸器検体(上気道より下気道検体の方がよりゲノム数が多い)に多く、血液や糞便などにも検出されるが量は少ない.

診断

 診断には、決まった方法がある.もっぱらウイルスRNAをPCRなどの遺伝子学的検査で検出すれば感染症と考えられる.リアルタイムPCRの対象となるのはウイルス特異的な遺伝子配列で、E geneの上流(upE)、ORF 1a、ORF 1bが感度・特異度が高いとされている.
 なお、感染経路調査の一環として、上下気道検体、血液、尿、便の検体を同時に検索することが推奨されており、未だ不明な点が多いMERSの研究調査に資されている.

治療

 特異的な治療法はなく、支持療法が基本となる.インターフェロンや抗ウイルス薬(リバビリン等)、既感染者の血清中のモノクローナル抗体などは、研究レベルでの報告はあるが、未だ確固とした治療法として認められてはいない.

予防

 感染防御、感染コントロールのための方法は、飛沫対策(患者の1m以内に近づく場合はサージカルマスクを使用する)および接触対策(使い捨てのガウンと手袋の使用、適切な破棄)である.また、MERS-CoV感染が判明している患者に接するには、ガウン、手袋、眼球保護具(ゴーグル、フェイスシールド)、また呼吸器感染防御のため、必要時、規定のN95マスクを使用する.患者は陰圧個室隔離する.また飛沫核を伴うような処置をする場合は、処置室は1時間に少なくとも6回換気のできる部屋で空気感染防御を行うべきである.
 MERS-CoV感染したラクダについては、鼻炎症状を伴うこともあるし、無症状のこともある.また鼻汁、涙、糞便などからウイルスを拡散する可能性がある.感染したラクダの生乳からもウイルスを検出する.これらと接触しないようにすべきである.

未解決の事柄

 MERS-CoVが発見されて約3年が経とうとしているが、重要な疫学的情報、すなわち感染経路、病原性、そして治療法が、依然として未解決のままである.ウイルスは人獣感染症である可能性が最も高いものの、直接または間接接触、汚染された食物や加工食品などからも感染する可能性が残されている.いくつかの研究ではヒトのMERS発症とラクダからの感染の関連性が示唆されているが、その起源や地理的分布、正確な感染様式、コウモリ、ラクダそしてその他の動物のMERS-CoVとMERS-CoV様感染症とヒトとの関係(relationships between MERS-CoV and MERS-CoV-like infections in bats, camels, other animals, and human beings)など、不明な部分は多い.
 以下の一文は、どう理解すればいいのかよくわからない.”The sporadic nature of many cases of MERS has hindered in-depth case-control studies and investigation of rates of secondary transmission, including establishing the role of subclinical infection in human-to-human transmission.” 散発的な症例報告があるが、二次感染率や不顕性感染であってもヒトーヒト感染するのかについては不明であるということか(散発的なため、十分な解析ができない、ということだろうか)?
 MERS-CoVはヒトーヒト感染を起こすのに十分な感染力がないため、パンデミックを起こす状態ではない.どれくらいの間、ヒトへの持続感染を起こすかがわかれば、ヒトへの適応能の評価ができるかもしれない.動物モデルを使って、重症感染症の病態解析を行う必要性もある.コロナウイルスは遺伝子変異率が高く、アラビア半島の国々でMERS-CoV感染症は発症し続けているため、これらの研究は可及的速やかに進める必要がある.パンデミックを起こしうるMERS-CoVが出現する可能性を視野に入れた取り組みが必要である.