2012年12月28日金曜日

科学は個人の行動を変えられるか -ネット上での議論より

非常によいまとめを目にしたので,簡単に見解をまとめておこうと思った.当該Togetterは以下である.

我が子に予防接種をさせる前に その4:日本の予防接種政策の根っこにあるもの

個人的見解の要旨としては,

  • dmburg氏が抱く不安の感覚は当然のものと考えるが,マクロにみたリスクベネフィットと,個人の行動決定の判断材料とは,区別して考える方がよい.
  • 事実としてワクチンに伴う副反応の確率は,低いといっていいだろう.一方でワクチン自体が「健康な人に接種される」性質のものである以上,許容されるリスクは一般的な医薬品等に比較して低いだろう.以上の前提で,仮に現状と,ワクチンゼロの世界を比較可能であった場合に,死亡率等の改善という意味で,前者の方がより良い結果を残すのはほぼ確実だろう.
  • ただし,現実の科学の方法では,上記のことを証明することはほぼ不可能である.
  • 証明できないが,「今も罹患している人がいる」状況があり,どう決断するかが問われている.

また,悪口のようになってしまうが,

  • 岩田健太郎氏の応答は,科学云々の高度な話の以前に,OSCEレベルでどうよと言いたい.
  • dmburg氏の疫学知識の不足を垣間見る場面はあったものの,非医療者である氏に「疫学を学べ」と言う態度は「正直,ねーよ」と言うしかない.

議論はかなり長期化しているようで,論点の散逸もみられる.ワクチンを拒絶したい根底にあるのは,以下のような事実および言論であろう.

  1. ワクチンの有用性の問題.これについては,実証されている部分もあるし,されていない部分もある.
  2. ワクチンの副反応の問題.dmburg氏が最も懸念しているのはこの点にあると思われる.健康な子に接種させて,万一のことがあれば,というごく個人的な不安から,副反応に関する十分な知見が不足している点(ワクチンとASDの関連等),公開されている知見の信憑性が低い点等を指摘している.
  3. 病気への認識.「麻疹って死ぬんですか(参照)」といった疾病の及ぼす影響の理解が不足している点はあった(まあ,一般人としては普通だろうが).これは簡単にデータで示すことができる.
  4. 過去の出来事.厚生労働省(および,旧厚生省)や専門家集団への信頼性の低さがある.これは,私自身少なからずあるので,個人的見解としては擁護してよいと思っている.
インフルエンザワクチンについては,その効果についてかなり議論のあるところだということは事実である.メタアナリシスの段階では,明示的な予防効果は示せていないのが現状である.

Vaccines for preventing influenza in healthy adults. ー Cochrane Database Syst Rev. 2010 Jul 7;(7):CD001269.
Vaccines for preventing influenza in healthy children. ー Cochrane Database Syst Rev. 2012 Aug 15;8:CD004879.

一方で,麻疹ワクチンやB型肝炎ワクチンに関しては,接種した場合としない場合のリスクベネフィットを考慮すれば,接種はかなり推奨されるといっていいだろう(エビデンスが示せないが).同じワクチンといっても,影響がかなり異なっており,乱雑な議論は避けたいところである.

一連の議論を方向付けるとすれば,根本的には,医療という科学をどう見るかというかなり本質的で答の出にくい問題を問う議論であるといえよう.上記のように,疫学的に記述可能な領域は限られており(日夜研究がなされているとはいえ),当面の問題を解決するのに十分とは到底言えない.ワクチンを接種すべきか,今現在子育てをする親にとって,不安を解決するための完璧な回答は未だないのである.これはワクチンに限ったことではなくて「データがないのに判断しなければならない」というのが,医療の常である.また,他のあらゆる科学技術においてもそうだろう.確証などないが,判断しなければならない."科学的に"より妥当(valid)な選択をしようとすること,これがまず一歩.次は,その不十分な選択肢の中から,われわれが選ばなければならないのである.患者やわたしたちが問題に直面し,選択肢を選ぶまでの一連を,EBM; Evidence based medicineと言うのである.かならずしも,むやみにCochraneを引くことがEBMではないのは,「Cochraneが我が子の抱える問題を解決するのか」と問えばわかるだろう.また,「ワクチンは効かない」「抗がん剤は効かない」などといった言説が,現代の科学的方法からいかに逸脱しているかもわかるだろう.明示的に言えることなど殆どない現状で,「効かない」と言えるはずはなく,「効くかどうかわからない」以上のことは言えないのである.

ワクチンを是とするか非とするかは,比較的瑣末な戦術レベルの意見である.われわれが本当に考えるべきなのは,我が子の健康や幸せといった,もっと大きな戦略レベルの話である.とはいえ戦略を完璧に語るだけの戦術がないのが現状で,どの方法をとるべきかを悩むことこそが,現代の"科学"をもとにして,わたしたち一人一人ができることなのである.医学知識は膨大であるから,ぜひ信頼のおける医師・医療者と,よく話し合ってみる必要がある.割と地味な,コミュニケーションの問題である.

2012年12月16日日曜日

Code Red and Blue — Safely Limiting Health Care's GDP Footprint より


http://www.nejm.org/doi/full/10.1056/NEJMp1211374?
N Engl J Med. 2012 Dec 12.

 公・民の政策屋が,医療保健部門支出のGDPに占めるシェアの増大を危惧して,いろいろ考えているという話.医師たちは,医療費が増大していくことを当然視しているらしいことにも言及がある.3つの予測をしている.
 ひとつ.ドル当たりに得られる健康度(バリュー)をもっと増やすことができれば,必要となるカネは15-30%減るだろうということ.
 ふたつ.医療保健部門に関する支出が,GDPの伸びと2-3ポイント上回っていることで,経済的に逼迫しているということ.Warren Buffettが「米国経済の寄生虫」と言ったように,教育,基礎研究,インフラ整備,その他公共財への投資に手が回らなくなっている.行政はギャップを埋めるために腐心しているが,特に高齢者を中心に,より良いケアのために投資をせよという人が増えている現状がある.
 みっつ.米国の医療は仕事のやり方を新しくしなければならない.臨床家や管理者が,バリューをもっと高めるために,現状の臨床のワークフローの見直し,他領域のマネジメントツールの利用,データベースの活用,技術(特に,健康心理学health psychologyと情報・コミュニケーション・マテリアル技術)の進歩の援用をすべきである.

*
 いわゆる医療費亡国論という感じもする.GDPの伸びを上回る医療費の伸びに対する危機感,また連邦債務のかつてない伸び(第二次大戦の水準に近づく),これらが国家経済の成長を損なうという内容である.一方で斬新な(とはいえどこかで議論されていたような)点は,医療のバリューを高めることを,この問題のソリューションとして提示していることである.健康産業へのインセンティブや医療供給体制への提言に加え,米国で実際に行われるらしい医師へのインセンティブについても触れてあった.

Most approaches to persuading the health industry to create robust learning health systems strengthen incentives for improving value. Provider-directed incentives improve payments to health care providers that attain more health gain per dollar spent than they have in the past or than their peers do. Examples include Medicare's chronic illness and bundled-payment demonstrations, pay-for-performance programs launched over the past decade, and newer approaches such as accountable care organizations, bundled payments, medical homes, and hospital value-based purchasing. Some physicians will be more directly affected in January 2013, when they will receive reports from Medicare comparing them with their peers. By 2017, these comparisons will be used to modify all physicians' Medicare fees. Patient-directed incentives link the fraction of health care costs paid by patients to the extent to which they select higher-value health care providers and treatment options, including self-care.

 医師は,メディケア(の請求の範囲で,ということか?)で他の医師との競争をすることになるらしい.ほえー,なんかこわいな.
 読みすすめていくと,割と強烈に医師の態度の批判があって,「穏当だ」なんてFBしちゃったのを後悔した.米国国債の発行額は増える一方だが,野放図な医療支出を是認していては国債利率の上昇を招き,事態を悪化しかねず,連邦議会予算事務局は財政問題を重く受け止めて改善策(=この文脈では,バリューの増加)を検討している.一方で,医師は自らの収入減を憂慮してロビー活動などに勤しんでいるという話だった.
 単純な,市場原理についての話なら別にどうということはないが,医療に寄せられる期待というか,「あるべき姿」性には,正直同情の念を禁じ得ないなぁと思った.とはいえ,増大する医療費に手を付けないわけにもいかないわけで,そのあたり純粋に「合理的に」やってほしいなと思うところではある.

 偉大な,サー・ウイリアム・オスラーは次のように言ったらしい.「ケアは最大限効率的になされなければならない.それに満たないものは目の前の患者への害悪であり,患者になったかもしれない者への不正義である."Medical care must be provided with the utmost efficiency. To do less is a disservice to those we treat, and an injustice to those we might have treated."」医師はどちらの道を選ぶべきだろうか.

2012年12月8日土曜日

Ecologic Studies (3)

エコロジック研究の位置付け
1 コストが低く,やりやすい.
2 個人レベルデータについては,限界があるとき.
3 個人レベル研究では研究デザイン上の限界があるものでも,考えることができる.
4 エコロジックな効果が知りたいとき.→エコロジック効果について知りたくても,indivisual-dataがなくていいというわけではない.
5 解析の単純さ.


- Ecologic Studies. Modern Epidemiology, K. J. Rothman, 2007

2012年12月7日金曜日

Ecologic studies (2)

計測のレベル
 疫学研究に使われるデータには,個人を直接対象としたもの(年齢と血圧)と,集団,組織,場所を対象としたもの(社会の無秩序さと大気汚染)がある.これらのデータ・観察対象は,研究に応じて特定の変数を計測するものとしてまとめられる.しなわち,個人レベルの変数は個人の性質を,あるいは集団,組織,場所の変数はそれらの性質をあらわすものである.このエコロジックな計測については3つのタイプがある;
  • 集計指標 aggregate measuresはそれぞれの集団の中にいる個人から得られた観察データのサマリ(平均や割合)である(たとえば,喫煙者の割合と一家の平均収入).
  • 環境指標 environmental measuresは個々の集団のメンバーが住んでいたり働いていたりする場所の物理的な性質である(たとえば,大気汚染レベルと日照時間).※環境計測は個人レベルにおいて類似性をもつが,これらの個人レベルの曝露(またはドーズ)はそれぞれの集団のメンバー間で,多くの場合違ってくる(そしてそれらは計測されないままである).
  • 全体指標 global measuresは集団や組織や場所の性質であって,個人レベルとは一切の類似点をもたないもので,集計計測や環境計測とは異なるものである(たとえば,人口密集度,社会の無秩序さのレベル,特定の法の存在または健康保険制度のタイプなど).
分析のレベル
 分析の単位というレベルが,すべての変数のデータを還元,解析するのによく用いられるものである.個人レベル分析では,それぞれの変数値はそれぞれの研究対象に割り付けられる.エコロジックな計測においては,1つまたはそれ以上の数の予測変数を用いることができる.たとえば,それぞれの国の平均汚染レベルをその国に住む個々の対象に割り付けることができる.
 完全エコロジック解析では,全ての変数(曝露,疾患,そして共変量)はエコロジックな計測であり,すなわち分析の単位が集団である(たとえば,地域,勤務地,学校,健康保健施設,地理的階層,または一定期間).したがって,それそれの集団内では,個人レベルでのどの変数の組み合わせについても,結合分布についてはわからない(すなわち,曝露ケースの頻度,非曝露のケース,曝露ありの非ケース,非曝露の非ケース).わかるのは,各変数の統合分布 marginal distributionのみである(曝露の割合と有病率).2×2表における,合計部分しかわからない.
 部分エコロジック解析は,結合分布についての情報が,もう少しあるものであるが,完全にはわからない.たとえば,国ごとのがんの罹患率についてのエコロジック研究では,年齢(共変量),疾患の状態などは全数調査や全国がん患者登録などから得られる.これにより,国毎の年齢別がん発生率を見積ることができるだろう.
 マルチレベル解析は,2つまたはそれ以上のレベルのデータを結合する特殊なタイプの研究モデル技術である.これについては後述.

推定のレベル
 疫学研究あるいは解析の基本的な目標は,生物学的(あるいは生物行動学的)推定,すなわち個人のリスクに影響するものか,あるいはエコロジック推定,すなわち集団の率に関するもの,をしようとすることである.ふつう,因果推論の対象レベルと,解析のレベルは必ずしも一致するわけではない.エコロジック解析に用いた対象について,エコロジックレベルから個人レベルについてある程度はいえるかもしれないが,このようなクロスレベル推定は特にバイアスに弱い.
 ある研究の対象が,バイク搭乗の際のヘルメット着用の,バイク関連死亡のリスクに与える影響は,生物学的(個人的)な影響を推定するものであるなら,目的レベルは「個人」となる.ここで,たとえばヘルメット着用法案とバイク関連死亡率が州ごとに違うことをみる場合は,エコロジック研究だといえる.ただし,これをそのまま生物学的な効果とみなすことはできず,この場合だと,死亡率というアウトカムはその法律の遵守の割合によって変化し得る.また更に,エコロジック効果の推定の妥当性は,われわれが交絡因子の結合分布,すなわち州間での年齢やバイクの流通量など個人レベルの変数をどれだけ排除できるかにかかっているのである.
 文脈的効果 contextual effectは,たとえば貧困地域への居住と疾病リスクを考えたとき,個人の貧困度をある程度コントロールする必要が生じるが,このようにエコロジックな曝露が個人のリスクにおよぼす効果のことである.

- Ecologic Studies. Modern Epidemiology, K. J. Rothman, 2007

2012年12月4日火曜日

Ecologic Studies (1)

 エコロジックスタディ ecologic study,あるいは集団研究 aggregate studyとは,個人ではなく集団の比較に焦点を置いた研究方法である.このようなものに焦点を置く根本の理由として,各々の集団における少なくとも2つ,あるいは全ての変数の,結合分布 joint distributionに関する個人レベルのデータが欠けているということがある.ゆえにエコロジックスタディは「不完全な」スタディであると言われる.エコロジックスタディは社会科学者によって前世紀から既に行われていたもので,さまざまな研究領域で頻用されてきた.にもかかわらず,個人レベルの研究,集団(エコロジック)レベルの研究そして推測に基づく示唆との区別が,始めに現れたときよりずっと複雑で漠然としたものになっている.1980年までは,エコロジックスタディはしばしば疫学の教科書の始めのパートに単純な「記述的」分析,すなわち仮説検定にさきがけて地域,時間別に罹患率を層別化するものであり,統計学的手法や推定などについてはほとんど注目されていなかった(例えば,MacMahon and Pugh(1970)をみよ).この20年でこの方法やエコロジックスタディの実例が大幅に拡張しており,この領域の主要な部分は今,しばしば「空間疫学 spatial epidemiology」とよばれている.

- Ecologic Studies. Modern Epidemiology, K. J. Rothman, 2007