近藤誠氏には,称賛・批判共に多く,彼の主張はがん医療にまつわって大きな議論を巻き起こした.このことについてぼく自身の個人的感想としては,とりあえず議論があることはよいことだと思うので,それについては良かったと思っている.ただし,一連の議論が単なる喧嘩に終わり,プロフェッショナル間のコミュニケーションの断絶を生むのだとしたら,それは残念なことだと思う.しかしこういう,意地の張合いというのは見ていてみっともないなあと思うところではある.どちらかというと,既存の理論を主張している側がまともに反論できていない感はあるんだけど.
さて,本の目次は以下.
まえがきうーん,各章の見出しが煽りすぎなんじゃないか.内容としては,まだまともだと思います.たとえば,
第1章 抗がん剤は効かない
第2章 抗がん剤は命を縮める
第3章 手術偏重に異議あり
第4章 苦しまずに死ぬために
第5章 がんを放置したらどうなるか
第6章 放射線治療の功と罪
第7章 現代に生きる七三一部隊
第8章 がん検診を拒否せよ
第9章 早期発見理論のまやかし
第10章 患者よ、がんと闘うな
あとがき
出版するのは良いのだけど・・・:近藤誠医師へお願い - 新・眠らない医者の人生探求劇場・・・夢果たすまで(参照)
上記の記事に記されているような,あらゆる抗がん剤が無効である,と近藤氏が主張しているかのような話は,著作を読めばそれが違うことがわかる.血液腫瘍など一部のがんは,抗がん剤の効果があることを近藤氏も認めている.ただし,目次にはやはり「抗がん剤は効かない」とあるので,誤解を生む.これはちょっと煽りすぎである.じっさいに著書を読むと,近藤氏の話はかなり感情論的である.怒りはよく伝わるのだが,あくまで科学的に議論しなければ意味がない.
ここで,「科学的に議論」とはどういうことかが重要になってくる.科学の定義は,科学哲学における大きなテーマであり,定まったものはない.ここではむしろ,科学性の基準を考えるよりも,「これは科学的に考えることができていない」という形で反論を加えることにし,どのような改善が必要かを簡単に示してみよう.
第1〜3章の冒頭を中心に,あるケースを紹介し,これを根拠に抗がん剤,あるいは手術が治療として妥当でないという主張をしている.このような「症例報告」は,医学という科学においては根拠としてあまり重要視されない.たとえば,がん診療ガイドラインには以下のようにまとめている.(参照)
症例報告,あるいはケースシリーズ(同様の疾患,あるいは同様の経過をとった患者の一連の報告)は,いずれもエビデンスのレベルとしてはVと分類される.このようなデータは,個人差やランダムなばらつきなど,バイアスを防ぐための手段をとることができない.このような内的妥当性の問題だけでなく,外的妥当性(この結果を他の施設,他の患者に適応できるか)についても問題が残ることになる.ゆえに,このようなデータを元に,抗がん剤診療を批判することは妥当でないのである.
なお,この「エビデンスのレベル」という尺度が全てではないということは留意すべきである.システマティック・レビュー,あるいはRCT(ランダム化比較試験,あるいは本書では,くじ引き試験)が全てではない.倫理上,技術的,あるいは経済的な問題などで上位の試験が不可能であるシチュエーションは多々ある.一方で,医学という領域の特性上,喫緊にその病気に直面している人がいる,あるいは社会的にその疾病が問題になっている,という現状がある.こういう状況にあって,上位のエビデンスのみにこだわってデータや解析が提出されるのが遅くなることは避けるべきである.観察研究であっても研究デザインが適切であれば,妥当な結論を導くことができる.「エビデンスレベルにこだわりすぎる」ことは,避けなければならない.
次に,問題だと感じたのは以下のような記述である.
理論的には,がんの性質は臓器によって大きく異ならないはずですから,これまでの議論の大筋はすべての臓器のがんに当てはまるはずです.しかし,それぞれの臓器の機能や,臓器が存在する場所との関係で,個別に考えなければならないこともあります.(p. 133)これは,端的に間違っていると思われる.近藤氏は放射線科医であり,主な診療領域は乳癌治療のようだが,乳癌の臨床像と,胃癌のそれは明らかに違うだろう.確かに,「がんはみな,異常な増殖能を持ち,転移が問題となる」という原則は共有しているだろうが,そのような病理的なメカニズムではなく,臨床像については,明らかな違いがあるのである.乳癌は転移が早く,不良な転帰をたどることが多いがん種である.このロジックを過剰に敷衍すれば,治療的介入,特に手術や抗がん剤治療が有効である可能性のあるがん種をアンダートリアージすることに繋がりかねない.
最後に,早期発見早期治療の話について.これについては,政策屋もかなり後ろめたいところがあるようである(聞いた話に過ぎないが).がん検診については,有効性が言われているものもあるが,諸外国においてもどこまでやるかについての合意は少ないようである.子宮頸癌あたりはエビデンスがあったように思うけど,また勉強しておきます.少なくとも,肺癌検診や前立腺癌検診におけるPSAの意義などには,疑義が提出されているのが現状である.このあたりについては,大規模な研究がなされるべきであろう.政治的に,検診を撤回するのが難しいにしても,検診事業の評価として,どのようなベネフィットがあるかの調査はかならず行われるべきである.
余談的にひとつ,追加で指摘すると,陰謀論はやめようよ,と思うところである.検診や過剰な治療で,「医師や製薬企業が暴利をあげている」という話は,根拠に欠いた憶測でしかない.そう思う気持ちはわかる.ぼく自身,医師という仕事を本当にメシのタネとしか考えていないような人に会う機会があり,こういう人もいるのだと忸怩たる思いを抱いたこともある.近藤氏のこれまでの活動(乳房切除にかんして,外科医との対話など)を鑑みれば,怒りを抱く気持ちはわかるのであるが,これはプロとして腹の中に置いておくべきものであって,著書に述べるまでもないのではないかと思うところである.
全体として,重要な指摘も少なくない. 米国や欧州のガイドラインと異なる診療を行っている施設もあると聞くし,政策的な未熟さ,科学的根拠への洞察も甘いところがある.このような現状に一石を投じるにあたって,恨みを述べた本を書くのではなく,近藤氏なりの科学論文を公開して欲しいと思った.新しい著作,『医者に殺されない47の心得 医療と薬を遠ざけて、元気に、長生きする方法』においては,その著作の性質もあってか,科学的とはおよそ言えないような展開であった.近藤氏の考え方を学ぶには,最近の著作よりは今回の『患者よ,がんと闘うな』を読む方がよいだろう.一般向けの本を書こうとしたら,「科学性」を担保するための内容がまず,削除されている印象だからである.