2013年3月1日金曜日

『科学哲学』を読む.


科学哲学,ドミニック・ルクール,文庫クセジュ,2005

 科哲(科学哲学の略,かてつ)を追い掛けて早何年か,まだまだその実態はわからず勉強中.
著者,ドミニック・ルクールは仏人の科哲研究者.以下Wikipediaより(参照).
 ドミニック・ルクール(1944年2月5日-)は、フランスの哲学者・パリ第七大学教授。専門は科学哲学・科学史。パリで生まれ、1965年に高等師範学校卒業、1966年に哲学の教授資格取得、1980年に文学博士取得。1989年にパリ第七大学教授物理学部教授に就任後、1986年から1988年まで国立通信教育センターの所長を務めるなど幅広く活躍。フランス流科学哲学(エピステモロジー)の嫡流をくむ人物。レジオン・ドヌール勲章シュヴェリエ章受賞。彼が監修したDictionnaire d’histoire et philosophie des sciences, sous la direction de D. Lecourt (1999, 4e réed. Quadrige/PUF, Paris, 2006)は定評がある。
このとおり,フランス流の科哲研究者ということで,じつは初めて知るようなことも結構あった.(意図したわけではないが)米英の科哲を中心に勉強していたようだったので,それはそれで興味深いものがあった.これまで一応,ひととおりのことは勉強してきたはずだが,こういったわけで今回の読書は結構初心者のような気持ちで取り組んだところがある.
科学史の通史と,最後にフランス科学哲学についての話という内容.面白いなあと思ったのが,

  • マッハまでと,マッハのあと
  • ヒューム・ポパー周辺
  • クーン周辺
  • 仏の科哲

あたり.どれもズッシリでぜんぜんまとまらず,つまり理解が追い付いていないんだろうなあ.

マッハまでと,マッハのあと

まあ別にマッハで区切ることもないんだけれど,マッハの話は勉強になったのでここで取り上げてみる.
 もともと科学哲学の黎明として,オーギュスト・コントの最初のテーゼがある.「偉大な基本法則」,すなわち「三段階の法則」である.われわれの認識の一々の枝が次から次へと3つの異なる理論形態を経過していくというもので,まず神学あるいは虚構の段階,ついで形而上学あるいは抽象の段階,最後に科学あるいは実証の段階である.2段階めの「形而上学あるいは抽象」とは,精神が超自然的能動者を抽象的な力,つまり,最後には自然という観念のもとに集束するというもの.これは,神学における神が,自然に変わっただけで本質的には大差ないと言われている.
 2番目のコントのテーゼは,合理的予測が実証的精神の主要な性格を成す,というもの.すなわち帰納の重要性を説いたわけだ.そして3番目のテーゼ,科学とは,「人間の自然に対する行為の真の合理的基礎を与えるはずのもの」である.
 一連のコント哲学において重要なのは,存在論からの解放であり,反形而上学的テーゼである.こうした反形而上学的テーゼが推し進められて,「実証主義」という考え方が紡がれてくる.

 それから,エルンスト・マッハ.
 その著作で,古典力学(ガリレイ,デカルト,ヨハネス・ケプラー,ニュートンなどによる)の創設に立ち返って,「機械論神話」がどのように形成されてきたかを示す.これは,古代宗教の「古代神話」のアナロジーでもある.じっさいのところ,古典力学の創設のテクストが忘れ去られたまま,その当時の科学が進歩していったからこその「神話」なのであるが.その内容は,力学に「物理学の他のあらゆる分野の基礎的土台」を築かせようとする先入見である.実際はそれが「意図的にあるいは無理やり作られた抽象」でしかないのである.
また同時にマッハは,科学研究における自分の着想について,自身を実証主義者あるいはありきたりな経験論者だと考えている者に対しても以下のように言う.
「科学者の大部分は,科学研究における方法にみずから携わっておきながら,帰納をその主要な方法であると考えている.まるで,個々別々に与えられる諸事実を分類整理することだけが科学者の仕事である,とでも言うかのようである」.マッハはさらに言う.「この作業[帰納]が重要であることはもちろんだけれども,それだけで科学者の仕事がすべて尽きてしまうわけではない.科学者であれば何よりもまず,説明すべき特徴とその関係を見出さなければならないのであり,この作業のほうが,すでに知られていることをクラス分けすることよりもずっと難しいのである」.
また,
 ニュートンの手続きを注釈しながら,マッハは最後に書いている.「直観的で生きた内容を概念に与えるためには,自然を理解する[包摂する](comprendre)前に,想像力においてとらえる(appréhendre)ことが必要である」.マッハは,実際,科学的直感の神秘的な性格(das Mysteriöse)を称賛しさえする.
非常に混乱してくるところなのだけど,簡単にまとめてみよう.
 コントは,それまで主流だった神や,超越的なものの存在に依存したやり方ではなく,経験的事実に基づき理論や仮説,命題を検証する立場をとった.これが実証主義とよばれるものである.一方マッハも,彼の時代の科学者が,古典力学を「神話」のように崇め,自らの科学を矮小化していることに警鐘を鳴らした.「機械論神話」が,コントによって打破されたはずの形而上学的な営みの類型にすぎないことを指摘したのである.
 入り口としては,実証主義とマッハは似るが,さらにマッハは,科学研究は帰納的なやり方にとどまるべきではなく,もっと直観的で,創造的な科学を志向していたのである.この点でマッハと単なる実証主義,経験主義は異なるものである.

(執筆途中)

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