さて,後輩へのアドバイスなんてのを,同級生がやっていた.SNSで.
こう,キラキラしたことだけをアドバイスするというのは,楽でいいよなあなんて暗いことを思っていた.明るく生きにゃいかんなあ.
余談はともかく,じっさいのところ,明るい話はアドバイスとしては効果があるんだろう.無闇に現実的なことを言うより,夢を語る方が人を魅くのは一般論として正しいだろう.一方で,当然のことながら「先輩だからこそ語れる現実的な話」というのにも一定の効果はありそうなんだけど,どうなんでしょう.当然,ちゃんと明るくオチはつけるんだけど.
自分のメッセージとしては,「考えること,自由に生きること」を思っていた.弁当先生の著作とだだ被りするんじゃないかなんて,ちょっと自惚れつつも思うのだけど.
医学部というところは,まさに実学をやるための場所といっても過言でなく,教養というものが殆ど省みられない.大学なので,所定の教養科目を修めることにはなっているんだけど,教養というものが何なのかということを考える機会は殆どないといっていい.
そのあと,まずまず大量の暗記をやって,実習をやって,卒業試験・国家試験を受けて,6年は終了.
だいたい,正味4年くらいで医学部のコンテンツ自体はさらうことができて,6年間っているのかなあというところではある.
教養がない,というととても抽象的なので,語弊を恐れずもう少し,問題をspecifyして言うと,
- (世の中を回している)文系知がない.
- とはいえ,理系とはいえ,科学をやらない.
ということに集約されそう.文系知というのもまあ適当に言ってて,法学なり経済学なり文学なりをやるか,リベラルアーツを普通にやるかというところをイメージしているけれど.
理系の分野としての医学部において,2つめの方が重くて,医学はもちろん科学の一分野なのだけど,そういう意識を形成する場がないというか.医学生が想像する科学というと恐らく,高校物理や高校化学でやるような,20世紀以前の自然科学の内容をイメージしているのではないか.
医学は,もちろん古典・近代的な科学観に立脚してやれる部分もある.一方で,昨今重要性がいわれている「臨床試験」を考えたりする場合,疫学理論,統計学,確率論を利用した考え方でもって,取り組まなければならない.また,予防医学なんかを考えるときも,同様である.ヒトという複雑系,また個人差をもつ個体を対象とした実践は,演繹的な思考ではどうにもならなくて,もっと別なところに論理的基盤を置く必要がある.
「医学は進歩しました」とよく言うけれど,かつてのように「菌が原因だから,抗菌薬を使おう」みたいな発想で済むような,"古典的な"医学から,「数千人を対象にした臨床試験で,どちらがどれくらい寿命延長効果がある,またQOLやその他の指標に効果がある」などといった,きわめて統計的な研究へと変貌しつつある.
また,さらに言えば,一般の人々についても,そういった医学の姿を伝える必要があるように思う.卑近な例でいえば,たとえば喫煙のリスクの説明(リスクというのは,統計学的な概念である)や,予防接種とどう付き合うか(拒絶する自由はあるけど,リスク/ベネフィットをうまく説明する必要がある)などといった領域において,科学をどうコミュニケートするかという実践の問題もある.
科学をまなぶということは,特にアドバイスとしたいなあと思うところである.ただ,どうやってと問われると結構難しいんだけれどね.
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