8月より、山形県での地域医療研修期間である.2ヶ月の間、内科一般の医者として地域医療にあたる.アクティブな医者(?)が少ない分、ゆだねられることは多く、擬似的な独り立ちの様相を呈するところである.実際のところは慢性期病院に近い部分が多大にあって、そこまで忙しくはないのだけれど.
そんな山形で、いわば派遣的な医者としてやっていて、地域医療に関して思うところはいろいろあった.
まず、その地域に定住しない者として働くということは、どうしても「その場さえしのげればいい」と考えやすくなる.いわば、「医療に心がこもらない」.これは、初期研修あるいは後期研修も同様なのかもしれないけれど、責任ある立場でないからか、単純に労働場所が変わりうるからかわからないけれど、面倒なケースではやっぱりこういう精神性に抗いきれなくなることがあると思う.生活習慣病などの外来では継続的な介入が望まれるわけで、患者は(内心どう思っているかは別として)ちゃんと外来に通っているわけである.生活上の指導が治療の基本になるわけだけれど、適当に薬だけ処方して終えるというのが一番楽で、えてしてそういう外来になりがちだと思う.この仕事は「責任感」にドライブされて動くことが多くて、逆にその責任感に乏しい状況になったとき、医療の質を維持するのは一気に難しくなると思う.
地域医療というのは、このような派遣医師、非常勤医師に支えられているのが現状で、その医療の質がどこまで担保されているのかは、よくわからない.もしかしたらひどいのかもしれないし、勘違いなのかもしれないし、医療の質なんて患者の予後には関係ないのかもしれない.「親に同じことができるか」というのは、駆け出しの医者への叱咤激励として言われるけれど、実際自信がなかったりする.
それと、これは体感でしかないんだけど、田舎は喫煙率高そうな感じがする.同僚が看護師という職業だからかもしれないが、10人くらいで行った飲み会で、一緒に行った看護師全員が喫煙者でカラオケ始めたときは、本当に苦しかった.
そんなこんなで地域医療ではいろいろ発見、思うところがある.楽しくやっていきたい.
2014年8月31日日曜日
レボフロキサシン使用後5年間での筋骨格系への悪影響の評価
Assessment of Musculoskeletal Toxicity 5 Years After Therapy With Levofloxacin
Pediatrics Vol. 134 No. 1 July 1, 2014 pp. e146 -e153
http://pediatrics.aappublications.org/content/134/1/e146.abstract
要旨
ニューキノロン系抗菌薬は、投与量や投与期間に依存して荷重関節の軟骨障害を引き起こしたという動物実験により、その安全性への関心があった.急性中耳炎と市中肺炎に対するレボフロキサシンと比較薬との比較で、軟骨障害の有無により5年間フォローされ評価されたランダム化前向き比較試験が計画された.研究に参入された児はまず、筋骨格系副反応(MSAE)に着目した1年間の安全性評価に組み入れられる.MSAEやプロトコルで規定した筋骨格系疾患が残存する児については、追加的な4年間のフォローを受ける.
2233人の児が12か月のフォローアップを受け、1340人中124人(9%)のレボフロキサシン群と、893人中83人(9%)の比較薬群が5年間の治療後評価を受けた.治療後2-5年後までのMSAEを認めた児については、薬剤治療の"関与があり得る"とされたものは両群で同数であり、レボフロキサシン群では1340人中1人、比較薬群では893人中1人であった.
結論は、レボフロキサシンまたは比較薬で治療された児で、5年間のうちにMRSEを呈したものは臨床的に検知可能な差異はなく、レボフロキサシンによる軟骨障害の5年間でのリスクは稀であるか、または可逆的なものであると考えられる.
小児におけるニューキノロン系抗菌薬の位置づけは、基本的に禁忌とされている(イヌに対する投与実験で軟骨障害を認めた).しかし、2009年に発表されたトスフロキサシン(商品名オゼックス/大正富山)は、小児用顆粒製剤として、小児に適応のある国内はじめてのニューキノロン系抗菌薬として注目された.適応は、肺炎、中耳炎、コレラ、炭疽菌感染症とされている.特に呼吸器感染に対するトスフロキサシンの処方は小児領域では一般化しているように思う.
正直なところ、たかが動物実験で適応がないのはどうなのよ、と思うところであったが副作用の検証というのはたぶんいろんな意味で困難なんだろうと思う.5年という比較的長期のフォローで筋骨格系副作用の評価を行ったこのたびの研究は、それなりの意義はあったと思うが、「やっぱそうだよね」の感とで迎えられたのじゃないかと思う.エビデンスと、社会的なポリシーのすりあわせというのはたぶんいつの時代も問題になるんだろう.
Pediatrics Vol. 134 No. 1 July 1, 2014 pp. e146 -e153
http://pediatrics.aappublications.org/content/134/1/e146.abstract
要旨
ニューキノロン系抗菌薬は、投与量や投与期間に依存して荷重関節の軟骨障害を引き起こしたという動物実験により、その安全性への関心があった.急性中耳炎と市中肺炎に対するレボフロキサシンと比較薬との比較で、軟骨障害の有無により5年間フォローされ評価されたランダム化前向き比較試験が計画された.研究に参入された児はまず、筋骨格系副反応(MSAE)に着目した1年間の安全性評価に組み入れられる.MSAEやプロトコルで規定した筋骨格系疾患が残存する児については、追加的な4年間のフォローを受ける.
2233人の児が12か月のフォローアップを受け、1340人中124人(9%)のレボフロキサシン群と、893人中83人(9%)の比較薬群が5年間の治療後評価を受けた.治療後2-5年後までのMSAEを認めた児については、薬剤治療の"関与があり得る"とされたものは両群で同数であり、レボフロキサシン群では1340人中1人、比較薬群では893人中1人であった.
結論は、レボフロキサシンまたは比較薬で治療された児で、5年間のうちにMRSEを呈したものは臨床的に検知可能な差異はなく、レボフロキサシンによる軟骨障害の5年間でのリスクは稀であるか、または可逆的なものであると考えられる.
小児におけるニューキノロン系抗菌薬の位置づけは、基本的に禁忌とされている(イヌに対する投与実験で軟骨障害を認めた).しかし、2009年に発表されたトスフロキサシン(商品名オゼックス/大正富山)は、小児用顆粒製剤として、小児に適応のある国内はじめてのニューキノロン系抗菌薬として注目された.適応は、肺炎、中耳炎、コレラ、炭疽菌感染症とされている.特に呼吸器感染に対するトスフロキサシンの処方は小児領域では一般化しているように思う.
正直なところ、たかが動物実験で適応がないのはどうなのよ、と思うところであったが副作用の検証というのはたぶんいろんな意味で困難なんだろうと思う.5年という比較的長期のフォローで筋骨格系副作用の評価を行ったこのたびの研究は、それなりの意義はあったと思うが、「やっぱそうだよね」の感とで迎えられたのじゃないかと思う.エビデンスと、社会的なポリシーのすりあわせというのはたぶんいつの時代も問題になるんだろう.
2014年8月1日金曜日
進路決定.
先日書いた、後期研修病院の選考だけど、無事に志望した病院に内定をもらい、つい昨日その文書の提出を行った.これで今の初期研修を終えることができれば、後期の3年分の食い扶持はキープされた訳だ.とりあえず、結構全うな小児病院で働けそうなことを楽しみに思う.
現在、研修は志望科である小児科ローテ中.当科の部長が、正確にはクセがあるもののとても切れる人で、自分の師匠の一人である.その人と、自院の来し方行く末について話し合ったので、少し記録しておこうと思う.
昨今、どこの病院も特色を出そうとして「○×センター」などと銘打って、有名な医師やスタッフを配し、設備を整えて広告塔のようにするケースが少なくない.自院も、経営陣の思惑に沿って、このようなセンター化が著しい.しかし、センター化の行く末はどうやっても「寄せ集め」にしか過ぎなくて、それぞれで専門的な医療はできるんだけど、総合病院としてやっていこうとすると、それぞれのセンターを「十分多く、十分多様に」取りそろえる必要に迫られる.そうやって専門の寄せ集めをすると、大勢の医師を要するし、科間の連携も失われるというわけ.イメージとしては大学病院のような場所になってしまう.
病院運営上、すべての科の土台となる科は、内科・外科・救急科+小児科・産婦人科だ、と考えられる.これに追加していく形で各専門がより深い診療を行うものである.なぜなら、心臓カテーテル治療をした人も、間質性肺炎で免疫抑制薬を使用する人も、神経難病で専門加療を受けている人も、おなかが痛くなったり、息が苦しくなったりすれば、内科・外科・救急科を受診することになるからである.常にかかりつけ医・専門医が診察するわけではない(それはリソースの無駄遣いである).そういうわけで、専門科が多くの患者を抱えればそれだけ、急変や強い自覚症状を覚えたとき、まず受診するのは上記のような5つの科なのである.それが、病院全体の体力であり、十分にその緊急事態に対応できなければ、もとの科も存続できないのである.
初期研修のエッセンスも、これなんだと思った.医師として、診療の体力となるのはこれらの科に対する知識・経験であって、専門特化がすべてではないのだ.
専門にこもるのは簡単である.目の前でおなかが痛くなった人に、手をさしのべてあげられるかどうかである.
現在、研修は志望科である小児科ローテ中.当科の部長が、正確にはクセがあるもののとても切れる人で、自分の師匠の一人である.その人と、自院の来し方行く末について話し合ったので、少し記録しておこうと思う.
昨今、どこの病院も特色を出そうとして「○×センター」などと銘打って、有名な医師やスタッフを配し、設備を整えて広告塔のようにするケースが少なくない.自院も、経営陣の思惑に沿って、このようなセンター化が著しい.しかし、センター化の行く末はどうやっても「寄せ集め」にしか過ぎなくて、それぞれで専門的な医療はできるんだけど、総合病院としてやっていこうとすると、それぞれのセンターを「十分多く、十分多様に」取りそろえる必要に迫られる.そうやって専門の寄せ集めをすると、大勢の医師を要するし、科間の連携も失われるというわけ.イメージとしては大学病院のような場所になってしまう.
病院運営上、すべての科の土台となる科は、内科・外科・救急科+小児科・産婦人科だ、と考えられる.これに追加していく形で各専門がより深い診療を行うものである.なぜなら、心臓カテーテル治療をした人も、間質性肺炎で免疫抑制薬を使用する人も、神経難病で専門加療を受けている人も、おなかが痛くなったり、息が苦しくなったりすれば、内科・外科・救急科を受診することになるからである.常にかかりつけ医・専門医が診察するわけではない(それはリソースの無駄遣いである).そういうわけで、専門科が多くの患者を抱えればそれだけ、急変や強い自覚症状を覚えたとき、まず受診するのは上記のような5つの科なのである.それが、病院全体の体力であり、十分にその緊急事態に対応できなければ、もとの科も存続できないのである.
初期研修のエッセンスも、これなんだと思った.医師として、診療の体力となるのはこれらの科に対する知識・経験であって、専門特化がすべてではないのだ.
専門にこもるのは簡単である.目の前でおなかが痛くなった人に、手をさしのべてあげられるかどうかである.
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