2016年4月1日金曜日

疫学と公衆衛生学の違いとは

 興味深い記事を読んだ.

 (核の神話:21)低線量被ばくリスク、どう向き合うか(参照


 疫学者 津田氏と、相馬市の診療所で内科所長を勤められている 越智氏の対談風の何か.司会とコメンテーター2人という構成なので、本来的にはコメンテーター同士の議論を盛り込むつもりだったんだと思うが、どうも二人とも噛み合っていない.推察するに、

  1. 津田氏はかなり変な人である(これは喋ってみるとわかる)
  2. 越智氏が疫学を理解していない節がある
  3. 司会が疫学ないし公衆衛生学を理解していない

などの理由があろう.1. はまあ、パーソナリティの問題というか、津田氏はもともとかなりの天才肌であり、かつ独特の話し方をする方である.癖がわかればそんなもんかと思えるかもしれないが、初対面で話すには苦労するかもしれない.2. については、割に致命的な問題だと感じるので以下に少々書いてみることにする.

 まず、越智氏の以下の一言.
これは疫学と公衆衛生学の考え方の違いなんですね。福島で起きている健康被害は放射能で起きているよりもはるかに大きく、緊急性の高いものです。ひとつは避難行動による健康被害。これは起きてしまったことなんですけど、病院避難っていっても、対策本部では病院の避難先を決められる人がいませんでした。病院スタッフは自分個人のつてで電話して、そこに何人送るからって必死で電話したうえで、車も入ってこないので、不十分な装備のまま、バスなどでみなさんを避難させたわけです。長距離移動や急激な環境変化に耐えられない、あるいは看護師さんも足りないですから、不十分な申し送りによって相当の健康被害が出ました。
こういう発言が、インペリアルスクールカレッジオブロンドン卒の、おそらくMPH持ちの方から出るのが大変興味深いと思う.「疫学と公衆衛生学の違い」という指摘は完全に誤りで、単に「何を議論としているか」の違いにすぎない.「低線量被曝のがんに対するリスク」の議論中に、「でも、避難の手順が悪くて云々」「家に閉じこもっている方がリスクが高くて云々」という話に展開しようとしているだけということである.津田氏は、「低線量被曝にリスクがないという、旧来のしきい値理論、あるいは誤った言説に対して、それが誤りであることを認めた上で、被曝の詳細な情報を提供した上で、住民にどう判断させるか」を問題としている.もちろん、金銭的、心情的理由で故郷に留まりたい方もおられるだろう.そこにどういう支援をしていくかは、社会がその正義に従って検討する課題である.越智氏はのちに、「リスクは相対的である」のような旨の発言をするが、言葉を補えば、それぞれの選択肢に伴うリスクとベネフィットを比較考慮して、各々のベターと思う選択肢を選びつづけることが,生きていくことに他ならない.そのリスクの中には、定量化できるものとそうでないものとがあって、医学的に重要なテーマについてはそれらが徐々に定量化されつつあるのである.小児における低線量被曝の甲状腺癌に対するリスクも、今回明らかになりつつあるだろう.その定量化されたリスクと、まだ定量化されないリスクとをすべて勘案して、ベターな選択肢を選んでいくのである.越智氏は,「疫学と公衆衛生学の違い」と言っているが,恐らく「ミクロとマクロの視点の違い」のような意味合いで使用しているものと思う.しかし,これらの二つの学問は直接比較できない全く異質なものであり,扇風機と洗濯機を比較するようなものである.公衆衛生学は疫学の知見に基づいて,それぞれの施策の是非を問うものではないだろうか.
 対話の内容に戻るが,今、「低線量被曝をしても問題ない」という誤った認識を変えるべきだというのが津田氏の主張であり、それ以上でも以下でもない.

 以下の発言も、気になるところである.
私も「no threshold(しきい値なし)」仮説は正しいと思いますし、100ミリシーベルトっていうのは昔のデータですから、日本みたいにこれだけ健康大国になってきたら、100ミリシーベルトがしきい値だとは、やっぱり思わない。
これに関しても、不正確な認識だと思うので、以下にICRPが発行するレポートの一部を抜粋する(ICRP: Draft report: Low-dose Extrapolation of Radiation-Related Cancer Risk 参照
There is no direct evidence, from either epidemiological or experimental carcinogenesis studies, that radiation exposure at doses on the order of 1 mGy or less is carcinogenic, nor would any be expected because of the considerations outlined in Conclusion 1. There is, however, epidemiological evidence, unlikely on the wholel to be an artifact of random variation, linking increased cancer risk to exposures at doses on the order of 10 mGy. This evidence includes several case-control studies of leukemia and solid cancers among different populations of children exposed in utero to x-ray pelvimetry, cohort studies of breast cancer among women given multiple fluoroscopy examinations during treatment for tuberculosis or scoliosis, with average breast doses on the order of 10 mGy per examination, and the observation that risk of mortality and morbidity among atomic bomb survivors from all solid cancers combined is linear in radiation dose down to about 100 mGy. 
ICRPが2004年に出したレポートで、すでに「1 mGy レベルでは発ガン性は判然としないが、10 mGy レベルではがんのリスク増大と被曝の関連性が見られる」という記載がある.ICRPが信じられない、という方にはさらなる説得ができないが、権威ある国際機関が2004年の時点でこのように指摘しているわけだから、「〜とは思わない」のような個人的意見のレベルではない.

 話全体を通じて、確かに津田氏の発言は現場感のないものに聞こえるし、終始「低線量被曝と発がん」という内容にのみ触れているため、「温かみがない」などという感想を抱かれるかもしれない.一方で、越智氏はここの症例ベースで、地域住民に対する配慮に満ちた発言が多く見られる.しかし、越智氏のあり方が「公衆衛生学を表している」かというと、首肯できるものではない.そのような、見た目には正しそうだが実情よくわからん、といった状況下で、良さそうなことが実際良いかどうかはわからない、というのが我々医師の苦い経験でもあり、良さそうなことも疑って、良いなら良いという理由を作り上げ、敷衍可能な形にすることが科学的な態度なのではないだろうか.「科学がすべてじゃない」のは百も承知である.
 津田氏の教室はもともと、熊本の水俣や、ヒ素ミルクなどの公害事件に関し、疫学調査を進めて検討を行う中で、「オンゴーイングな社会問題の中で、疫学がスピード感を持って科学的根拠を示し、保健衛生行政の意思決定を補助しないと、水俣と同じ轍を踏むことになる」という問題意識の元に研鑽している教室である.そういう意味で、今回の福島原発事故の件を危惧していて、早期の情報発信を行っているのである.

 どっちつかずのことを言い続けて住民の判断の拠り所を不明瞭にすることより、限られた範囲であるが科学でリスクを明確化することで、判断材料の一つとして役立ててもらう事の方が有益と感じるが、どうだろうか.

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