2012年9月17日月曜日

ベッドサイドへの羨望とか.

心はほとんど決まっているのだけれど,時々無性に,臨床で働きたいと思うことはある.
臨床医の日々を垣間見ると,無論,いろいろ(自分にとって)ネガティブなところもみえるのだけど,でも,あの限界で闘っているからこその団結とか,生の人と人の繋がりみたいなのとか,とてもよいなと思う.手術室の医療者休憩室で,大晦日を過ごすの.電気コンロに鍋のせて,オペ看と,当直医と.それはある意味でブラックな働き方なのだろうと思うけれど,そういう一般論的批判っていらなくて,自身が納得するかたちならいいのだと思う.家族のことを考えると,それってどうなのというところはありそうだけど,夫婦そしてその子どもっていう超近い関係なら,ロジックじゃないコミュニケーションもできると思うし,それは自分がどこまで勝負できるか,っていう問題のように思う.

ああ,一般的に,っていう話はいつもそれなりな妥当性はあるんだけど,それをそのまま,自分や誰かにあてはめることは不可能に近い.社会的な問題の解決法,あるいは自分の将来予測なんかには使えても,自分自身の今の決断には参考程度にしかならない.自分の価値観を丁寧に整頓して,意思決定しなければならない.なまじ,そういう一般論を摂取する機会が増えたから(情報化によって?),意思決定には「時間がかかる」し「いろいろ考えなければならない」のだろう.

自分の腕だけで,ギリギリの命の最前線と闘うからこそ,できるチームってあるんだと思う.そうだ,大学でそういうチームに出会ったんだった.
マクロな仕事をやろう,というのは単純に自分の趣味みたいなものだけど,それってどこまで血が通っているんだろう.どれだけ「一般論」に毒されているんだろう.

自分が心の底からやりたいことって,あちら側のような気がするなあ.どうしよう.

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