2013年1月28日月曜日

21st-Century Hazards of Smoking and Benefits of Cessation in the United States より


http://www.nejm.org/doi/full/10.1056/NEJMsa1211128
N Engl J Med 2013; 368:341-350

要旨

1980年代の研究では,米国において喫煙は35-69歳の男女の死の25%の原因を占めると推定されていた.ただ現在では当時よりも喫煙者の数は減り,公衆衛生的環境も変化している.そんな中での国家的にみた各年齢における喫煙のリスクと禁煙のベネフィットは,不明であった.
 25歳以上の113,752人の女性および88,496人の男性について,喫煙と禁煙の履歴を得て,この情報と,対象者のうち2006年12月31日までの死亡(うち女性は8,236人,男性は7,479人)の関連を調べた.現在の喫煙者と喫煙したことがない人との比較でのハザード比は,年齢,教育レベル,肥満度,アルコール消費量で調節した.
25歳から79歳までの現在の喫煙者の全死亡は,ハザード比(女性)は3.0(99%CI, 2.7-3.3)であり,ハザード比(男性), 2.8(99%CI, 2.4-3.1)であった.喫煙者により多かった死因として,悪性新生物,血管系,呼吸器系その他,喫煙関連の疾患であった.25歳から75歳にいたるまでの生存確率は,女性で70% vs. 38%,男性で61% vs. 26% であった.平均余命では,現在の喫煙者は非喫煙者より10年以上も短い.また喫煙をやめた人については,25-34歳,35-44歳,45-54歳の時点それぞれで10年,9年,6年の余命延長の効果があった.
80歳までの生存に対する禁煙時期の影響.
(FIGURE 3より)



議論等


 U.S. National Health Interview Survey (NHIS)というのがすごい.National Death Indexというのと紐付けされているらしい.
  The NHIS is a nationally representative cross-sectional health survey of the civilian, noninstitutionalized population of the United States. The survey uses a stratified, multistage sample design that permits representative sampling of households. One adult (≥18 years of age) is randomly selected from each selected household for a detailed interview on health and other behaviors. The NHIS sample is drawn from each state and the District of Columbia. Each year, approximately 35,000 households and 87,500 persons are newly enrolled in the survey. Black and Hispanic persons are deliberately oversampled, but the sample weights ensure that the final totals conform to national ethnic proportions. The NHIS sampling frame excludes only about 7 million adults (chiefly patients in longterm care facilities, prisoners, and active-duty military personnel) from the total U.S. domestic population of 226 million adults in 2004.
NHISは米国国民のうち入院中でない人々に対する横断的健康サーベイで,18歳以上を対象に多段抽出法で選ばれ,質問が行われる.毎年およそ35,000の家計と87,500人の国民が新たにサーベイに加わるようになっている.人種的には黒人とヒスパニックが故意にオーバーサンプルであるが,全体としては国家の民族割合の代表として問題ない.このサーベイの対象者として,長期施設入所者,囚人,現役軍人などは除かれているが,それ以外の米国国民2億2600万(2004年時点)の人々が対象である.


 これは横断研究である.この研究デザインで注意しなければならないことの一つに,「因果関係をどう説明するか」である.以下のような議論がある.
  Life-threatening illness can cause smokers to quit, which distorts the rates of death among current smokers and among those who have quit smoking recently in opposite ways.
生命を脅かすような疾患は喫煙をやめさせる原因になるため,現在の喫煙者の間での死亡率と最近喫煙をやめた人の死亡率を全く逆向きに歪めてしまうことになる.

 たとえば肺癌を診断された患者が,「流石に禁煙するか…」となったとき,「肺癌」と「最近の禁煙」が関連付けられてしまうことになる.逆に,「現在も喫煙を続ける人」が「無病息災」と関連してしまうことにもなってしまう.言うまでもなくこれは因果関係を歪めてしまうことになる(原因と結果の逆転).
  Unlike previous analyses of NHIS results, our analyses classified former smokers who had quit within 5 years before death as current smokers. Participants were classified as former smokers if they had smoked at least 100 cigarettes in their lifetime but had not
smoked within the previous 5 years. Participants were classified as never having smoked if they had smoked fewer than 100 cigarettes in their lifetime.
今研究では,死亡までの5年以内に禁煙を始めた人を「現在の喫煙者」と分類した.また「元喫煙者(禁煙者)」を,生涯で100箱以上の喫煙歴があり,かつ5年間喫煙をしていない者とした.生涯で100箱未満の喫煙歴の者は「非喫煙者」とされた.



 因果推論において最も重要なのは上記であろうが,それ以外にもいくつかDiscussionにおいて述べられていた.以下を抜粋する.
  Finally, although the smokers who quit smoking might have been more likely than those who had never smoked to try to improve their health, we found little difference between these two groups with respect to alcohol use, adiposity, and other health-related variables.
禁煙を始めた人は,もともと喫煙をしていなかった人に比べて健康への意識が高いのでは,という可能性がある.そうであれば禁煙自体がそれほどまでの余命改善効果がなく,禁煙の効果を過大評価している可能性がある.むしろ生活習慣への注意の方が重要ではないか,とも言える.この点については,交絡の調整に用いた指標であるアルコール消費量,肥満度その他の健康関連の指標において,ほとんど違いはなかったことから,棄却できよう.


国家規模のサーベイの環境のもとで行われた研究であり,手法としては比較的シンプルである.このような公衆衛生的問題に対する研究というのは,しばしば情報を集めること自体が難しかったりする.やはり,NHISのようなしくみを作ったことが素晴らしいといえるのではないだろうか.

2013年1月25日金曜日

『精神と物質』を読む 2


精神と物質―意識と科学的世界像をめぐる考察,エルヴィン・シュレーディンガー
 ガレノスは私たちに断片(ディールス,断片一二五)を残してくれました.そのなかでデモクリトスは,何が「真実」なのかということにつきまして,知性(ディアノイア διάυοια)を登場させ,感覚(アイステーセイス αἰσθἠσειζ)と論争させております.知性いわく「表面上は色がある,表面上は甘味がある,表面上はにが味がある,しかし実のところ原子と空虚あるのみ」と.これに応報して感覚いわく「おろかな知性よ,われらからお前の論拠を借りてなお,われらに打ち勝とうと望むのか.お前の勝利は,お前の敗北」と.
 本章において私は,科学の末席たる物理学から得た単純な例を通して,二つの一般的な事実を対比させようとしました.すなわち,(a)自然科学のすべての知識は知覚に基づいているということ,そして,(b)それにもかかわらず,このようにして得た自然の過程に対する科学的な論点には,感覚的性質というものが欠如しており,したがってこれを説明できないということなのであります.一般的な論評をもって結論を申しあげましょう.
 科学的な理論は,私たちが観察や実験で発見したことがらを概観するのに役立ちます.科学者は誰でも,諸々の事実につきまして,それをまとめたなんらかの理論的な描像ができあがるまでは,かなり多量な事実を頭に納めておくのがなんと困難なことかよく知っております.したがいまして,次のことはちょっとした驚きでありますが,しかし元の論文や著書を書いた著者が決して責められてはならないことであります.論理的で首尾一貫した理論ができあがってからは,著者たちは,発見された元の事実や,読者に伝えたいそのままの事実については記さずに,これらの事実をその理論や他の理論の学術用語のなかにおおいくるんでしまうのであります.このようなやり方は,うまく順序だてられたパターンとして事実を記憶しておくのに有用なのですが,実際の観察と,それを元にして築いた理論との区別を消し去ってしまうことになるでしょう.観察されたことがらは,常に感覚的な性質に依存しているものですから,理論はこのような感覚的性質を説明してくれると安易に考えてしまうのです.しかしながら,理論は決して感覚的性質を説明するものではありません.

 現代の医療という科学について.
 科学的な態度で事実を説明・記述しようとして,得られた知見はもちろん科学的なものだ.しかしいざ私たちがその知見を目の前の問題に適用しようというとき,おや,これでいいんだろうかと悩むことがある.この違和感はたぶん結構重大で,というのは,科学的知見を知覚?し,さらに私たちの精神がそれを解釈し,アウトプットする.そういうインとアウトの2ヶ所で精神が介在するんだけど,その間は科学が全く説明のできない領域なのだ.
 昨今のEBMとよばれる一連の営みにおける「エビデンス」とは,科学的知見それ自体である.ここではしばしば「エビデンス・レベル」というものが取り沙汰されるが,それは「どれくらい厳密に科学的か」の度合いのことを指す.知見の科学性を問うのは比較的容易であるし,その純度を高めることは技術的には可能である.一方で,その知見をどう解釈し,どう適用するか,についてはどちらかというと見逃されやすいように思う.というよりもむしろ,エビデンス・レベルの高さというものが,解釈とか私たちの精神とかいったものを飲み込まんとする勢いさえ感じることがある.メタ・アナリシスという膨大なデータを束ねた科学的事実に対して,私たちはどう向き合うべきか,あるいは私たちの感覚は,それをどうコントロールすべきなのか.
 科学が,感覚までも説明し尽くすことを望むより,別のやり方があるようにも思うのだけど,まだわからないな.

2013年1月21日月曜日

Golden S sign.

 Golden S sign(S sign of Golden, GoldenのSサイン)とは,特徴的な胸写像のひとつで,肺の中枢の腫瘤性病変の存在,または肺虚脱(無気肺)を示唆する.
 1925年にGoldenによって指摘され,当時は「肺気管支癌」の像として紹介されたが,その他にも転移性肺癌,リンパ節腫大,無気肺によっても同様の像をみることがある.

 単純の胸写,あるいはCTでみられる.右肺においてminor fissureの変形としてみとめられる.右上葉が虚脱し,minor fissure(horisontal fissura)が挙上される.このとき,上に凸のカーブとしてみとめられる.また,肺門部に腫瘤性病変があるとその部分がさらに変形されて,シグモイド状のカーブを描く.






ref.
Golden S sign - Wikipedia
Right upper lobe collapse - wikiRadiography

2013年1月20日日曜日

『精神と物質』を読む

そしてこの行動の変化は、ゲノム(genom)によってもたらされたからだの変化とあいまって、例示や教育、さらにはより素朴な方法で子孫に伝えられます。いやそれどころか、たとえからだの変化がまだ遺伝的なものではないにせよ、むしろ「教えること」によってもたらされた行動の伝達が、まことに効果的な進化の要因になりえるのであります。なぜならこれが、変異を有効なものにする準備をし、強い淘汰を受けさせる用意をし、将来の遺伝されるべき突然変異を受け止めるための扉をひらくのですから。
 
当時、ラマルクが考えた「獲得形質の遺伝」は、遺伝学的には誤りであった。ダーウィンの理論が正しいものとされた。一方で、例えば突然変異的に生まれた、毛の多い植物はより寒冷な土地でも生存できる。遺伝的に、そして後天的にランダムに得られた性質により、元来であれば不利な状況下での生存、生殖が可能となった。そして後世に、さらに厳しい状況を与えることになる。
遺伝学的に遺伝しないにしても、個体の行動次第で進化への扉が開かれていくのである。

2013年1月17日木曜日

アベノミクスとは何か

Wikipediaにも記事があった(参照).
以下,ほぼ引用.


 日本経済の問題を「デフレ」とした上で,デフレ克服のために取られる一連の経済政策.インフレターゲットを設定し,これが達成されるまで大胆な金融緩和措置を講ずる.

 日本経済の置かれた背景としては,1990年代初頭のバブル崩壊以降,名目GDPの成長不全に陥っていた.それなりに金融緩和をしていた(気がする)が,あまり効果はなかった.クルーグマンは当時,日本が流動性の罠に陥っている可能性を指摘しつつも,日本経済を回復させるための手段として,お金を大量に刷りなさいということを言っていた.また,スティグリッツも,日本がバブル崩壊以降のデフレに対して手をこまねいている現状を指摘し,日本経済の好転のためには日本政府が財政赤字を紙幣増刷によってファイナンスしては,と提言していた.

 2012年11月16日の解散総選挙から12月26日の第2次安倍内閣発足にいたり,政権与党に返り咲いた安倍さんだが,経済政策についてはデフレ脱却・無制限の量的緩和策を打ち出しており,それを好感した株価の動きもあった.

 アベノミクスは,大胆な金融政策,機動的な財政政策,民間投資を喚起する成長戦略の3つを基本方針としている.個別の政策としては,2%のインフレ目標,円高是正,政策金利のマイナス化,無制限の量的緩和,大規模な公共投資(国土強靭化),日本銀行の買いオペによる建設国債の引き取り,日銀法改正などがあげられる.


 勉強不足でいろいろよくわからないし,約3年の民主党政権でどのような財政政策がとられてきたのかもわからない.米国その他の財政政策のトレンドもよくわからない.
 民主党政権でしばしば言ってた「成長分野に集中的に投資を」という話については,政府がそういうのを敏感にキャッチし,適宜投資するなんて芸当は正直無理筋よねというのはあった(だからこそ,計画経済というのは上手くいっていない).結局のところ,マネタリーベースを増やして経済の循環をよくし,民間の手で成長領域への投資を活性化するような手段しかないっぽいみたいな結論なんだろうと思う.とはいえ,貨幣量が多すぎると(過度な)インフレを起こして国民生活が脅かされたり,国債の信用が落ちて金利上昇,財政破綻をきたすなどの副作用もあるんだろう.いろいろな評があってよくわからないけれど.

 とりあえず,経過を見守ることにしよう.

2013年1月15日火曜日

NNT


無い内定ではない.
Number Needed to Treatの略.

 「所定の治療効果を得るために,何人にその治療をする必要があるか」をあらわすもので,治療効果の強さをあらわすといってよい.10人にやって10人に効けばNNTは1だし,10人にやって1人にしか効かなければNNTは10である.

 たとえば,ある治療介入Aを行った群と行わなかった群で,生存率が以下のように違ったとする.いずれも,サンプルは1000人とする.

介入あり:12%の人が生存
すなわち,120人が生存(880人が死亡)
介入なし:10%の人が生存
すなわち,100人が生存(900人が死亡)

この介入によって生存が20人増えたことになる.1000人に対してAという介入を行い,20人の生存を増やしたということは,Aの介入による生存者を1人増やそうと思ったら,
1000/20=50(人)
への介入を行う必要がある.以上より,Aという治療は50人に行って1人が生存するものである,と評価できる.

 疫学指標をバリバリ使うなら,「絶対リスク減少 absolute risk reduction, ARR」を用いて,
NNT=1/ARR
とも書ける.(今回の場合は,ARR= 900/1000 - 880/1000 = 0.02,この逆数は50.) ARRを用いる場合は,リスクに着目するので有害事象が起きた人数をカウントしなければならないが,介入群とコントロール群でサンプルサイズが異なる場合でも用いることができる(上記の例では,サンプルサイズがいずれの群でも同じだったので,余計な考慮が不要であった).

2013年1月12日土曜日

『20歳の自分に受けさせたい文章講義』を読む

読者と同じ椅子に「座ること」
 
文章になりそうでならない、僕の脳内、それをもし文章化するとして、読者とは誰なのだろう。明確に誰かに向けて書けそうな内容のこともあるけれど、自分の興味は「不特定多数」に向けて言いたいことが多いような気がする。あるいは、思っていることの対象を、自分でもわかっていないのかもしれない。
そう考えれば、「読み手」を意識することは、そうやって漠然としたままにされている読者をちゃんと想定しろよという戒めなのかもしれない。
Twitterのせいだ、というと負け惜しみみたいだけれど、放言的に文章を投げ散らかす癖がついてしまってる気がする。ああ、なるほど。
と、自分を読者と見たてて、書いてみる。

2013年1月2日水曜日

新年.

稲垣早希のものまねとコントが非常によかった.
なんだこの新年.