2012年8月5日日曜日

白歴史の集積,Facebook.例外あり.

Facebookのあの息の詰まる感じはよくわかる.いや,自分もその雰囲気に与しているのだという自覚もあるし,そもそもFacebookってそういう場だろうということで,そこまで本気で批判したいわけじゃない.
単純に自分の中の閾値の問題だけれど,個人的な幸せの報告だとか,子どもの写真だとか,飲み会ウェーイだとかはあまり問題にならない.それはそれ,これはこれ,で自分を守れるし,変なイデオロギーのない,単純な幸福は見ててそれほど苦痛でない.
しかし,「わたし,こんなステキな仕事してます」「いろんな人とお仕事して,こんなにハッピー」みたいな投稿にはどうも辟易する.なんというか,善行積んでますアピールというような気がして,鬱陶しいような息苦しいような.

個人的な感情や体験,個人やその近傍で完結することがらについては,べつにどうということはないのだけれど,それを「社会的意義」みたいな大義名分に乗せる行為.穿った見方であると思う.単純な報告であり,ある種の個人的経験の報告の範疇のつもりなのだと思う.見せつけではないし(いや,見せつけは常に正当化される場所である),適当にlikeが付けばよいものだと思う.しかしなお不快なのは,その善行の向こうに承認欲求や顕示欲のようなものが透けてみえるからだ.当人自身の"真の"動機は,人助けであり仕事への矜持であったりするのだろうが,Facebookで観測される"見せ掛けの"動機が,そのような俗っぽい,いらだたせるようなものなのではないかと感じる.

家庭医界隈の,「地域の人たちとこんな交流」「子どもたちと云々」「お年寄りを家で看取りました」などといったさまざまな美談を,それ自体として受け入れられない.流行りの家庭医の仕事だからこそ,穿ってみえる.

こういう心性,不可解である.たぶん自分が変なのだ.

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