国家試験から10日ほどが過ぎた。今回の国家試験の難易度がどうであれ、大きな試験が終わったのは事実で、人生への向き合い方が変化しているのを感じる。あるいは、すでに変化の兆しは以前からあって、それを感覚したのが今頃なのかもしれないけれど。
医学部での問題解決や思考というのが、如何にproblem-basedで、実学的かということが徐々に分かりだしてきた。最近読んだ中島義道の思考がこのような考え方とはまるで違っていて、問題の解決を前提しない思索を展開しているのに、ちょっと着いていけなかった部分があった。何が実で何が虚かということは議論するつもりはないけれど、6年間かけて訓練されてきた実学的な思考回路をどう保って、また新しい学びに繋げていくべきかというのは皆目わからない。また私自身の人生に対して、何らかの社会貢献みたいなものを目標に掲げて自分自身の外側に(も)生きる理由を見出すべきか、あるいは先日のエントリのように自分がたのしくやっていければいい、みたいなスタンスを取るべきかでちょっと困った。
これまでの感触としては
比較的幅広く学んできたつもりで、そういう立場から言ってみれば、実学と虚学は結構違うらしいことはわかる。哲学と言ってもいろいろあって十把一絡げにはできないけれど、例えば「私とは」みたいな命題を考えていくような哲学は、この際勉強しきれない領域だなという気はした。
一方で、自分のたったこれだけの少ない経験値から述べているだけで、確定的なことは何も言えないのだけど。実学と虚学は確かに違うけれど、隔絶されているものでもないような気がするし、幅広く学んでフィードバックが得られるならばそれには意義がある。
読書や学習の方向性を自分自身で決めていけることは重要なのだけどなかなか難しい。とはいえ信頼できる師匠はそう多くない。情報収集に時間をかけるべきだが、さらにその前提として十分な勉強時間を確保し、また勉強へのモチベーションも保てるよう計画設計しないといけないなと思った。
師匠の不在について
これについては打開策はなくはないので、自分の行動如何によるんだけど、現時点では問題としてある。乱読する余地がなくなってきたというのもある。
仲間の不在について
これは慢性的にそうだったのでどうしようもないことなのかもしれない。いや実際のところ志を同じくする人は多からずいるんだけれど、ちゃんと繋がりきれていないところがあるというか。しかし、閉塞的な世相を反映してか、あるいは医学部ってそういうところなのかわからないけど、全体的にみて思想のバラエティに乏しいし、異端を攻撃する傾向が強いので、集団の中で仲間を見出しにくいというのは実際ありそうではある。
まあ、おそらくわかりやすい仲間というのは方向性が先鋭化してきてやっと、見出されるものなのかもしれないし、今はそういう先鋭化をなるべく避けようとしているので、現状としてはこんなもんかなというところではあるんだが。
これから
なんというか、区切りがついたからこそ、タイムリミットじゃないが先を計算して何かをしなきゃという焦りが顕在化したように思われる。確かに社会人生活は、非プライベートのところで束縛が多く、可処分な時間は少ないというのはわかる。一方で極めて効率的に生きたい、というわけじゃないし、ここまでやらないと死ねないというほどこだわっているわけでもない。ただ具体的には、今後5年程度の臨床経験である程度現場を実感して問題を抽出して、次のステップに行きたいというのはある。目下決まっているのはその5年ほどなので、差し当たってはこの5年間をどうするかくらいは考えた方が良さそうではある。
ああ、心境が変化したっていう程、重篤なものではなかったっぽいな。それはそれでよかったけれども。
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