差し当たり、日本の医療 制度と政策,島崎謙治,東京大学出版,2011 をテキストにして、主だったネタについてまとめながら取り上げ、時事的なものなどを織り交ぜながら書いていこうと思う。
あらゆる政策的テーマがそうであるように、医療政策もまた複雑系であり、いたずらな視野の限定は論点を失することに繋がる。常に俯瞰的な視点から状況を分析することが求められる。一方で、医療現場の感覚を失ったような分析は不要であろう。大学の学者のような分析ならば、このブログが取り上げる必要性も薄いだろうから。
それから、自分みたいなのが医療政策を考えることについて。まあ、よくはわからないんですよね。自分自身が事象をマクロに考えることが好きだったり、現場レベルじゃどうしようもない事態になっている(らしいということを聞いた)ことだったり、そういう動機らしいものはあるんだけど。これが唯一絶対の自分の生きる道なんだっていう自信なんてのは皆目ないなあというのが素直な現状だと思う。
何で医学部を受験したんですかって聞かれたとき、「国際医療に憧れて。」って言っていたのは真実なのだけど、結局今はこういうことになっている。カッコいいなあとかそういう、青い発想しかなかったけれど、今だにそのままなのは、一周まわって面白くもある。こういう考え方をするようになったのも、あるいは医師免許という最高に潰しの効くものを手に入れるからなのかもしれない。それってちょっと自己嫌悪だけど、美しく生きるだけが目的でもないしどうってことなさそう。社会貢献をしたいというのは、どうやらかつて(「国際医療をやりたい」と思っていた頃)からあって、あらゆる活動や人生のドライブになっているのは、こういう感情のような気がする。よくよく分析してみれば社会貢献というのは方法論に過ぎなくて、じっさいしたいのは、自分がたのしいと思うことらしいというのもあって、純粋人間じゃないのだが。
医療政策というのもひとつの学問のように思うが、西田幾多郎先生は以下のようなことを言ったらしい。
学問は畢竟lifeの為なり、lifeが第一等の事なり、lifeなき学問は無用なり。
文脈をちゃんと分析せずに引くのは愚かしいが、功利的に学問をやれというんじゃなく、life、すなわち人生とかくらしとか、そういう人間っぽい営みをひっくるめたものによりそって、学問ってあるべきなのかなあと思っている。
表題とは全く違う内容となってしまったので、次のエントリに今後予定しているネタを書こうと思う。
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