ウエスターマークサイン,ヴェスターマークサイン
PE, 肺門部扁平上皮癌等において,肺動脈への侵襲・塞栓を認める場合,肺動脈陰影が突如消え,またその肺動脈の潅流領域に限局性の透過性亢進を認めるもの.
下図では,左肺の下肺に向かう肺動脈が突如消失している.
- wiki Radiography, http://www.wikiradiography.com/page/Westermark+Sign
家庭医を総合医あるいはプライマリ・ケア医といっても構わないが,かかりつけ医という言葉に置き換えるのは適当ではないことである.なぜなら,かかりつけ医は患者が選択し"かかっている"という事実に着目した概念である.したがって,大学病院かかりつけ医といってもおかしくないし,1人の患者が疾病ごとにかかりつけ医をもつことも語義矛盾ではない.しかし,家庭医の議論の本質はプライマリ・ケアを医療政策上どのように位置づけるのかということにあり,かかりつけ医という言葉を用いることは議論の焦点を曖昧にするからである.
私ははっきりいって統計学が嫌い。統計学ってどこかうさんくさい。前提があっていれば確かに厳密に結果は正しいのだが、その前提が疑わしいことが多い。凡人は統計の数学的処理でエネルギーの99%を使い果たしてしまう。平均と標準偏差くらいでいいんじゃない?後は直感のほうが正しい気がする。https://twitter.com/elm200/status/254223200773345280
われわれは,すべてのものを包括する統一的な知識を求めようとする熱望を,先祖代々受け継いできました.学問の最高の殿堂に与えられた総合大学(university)の名は,古代から幾世紀もの時代を通じて,総合的な姿こそ,十全の信頼を与えらるべき唯一のものであったことを,われわれの心に銘記させます.しかし,過ぐる100年余の間に,学問の多種多様の分枝は,その広さにおいても,またその深さにおいてもますます拡がり,われわれは奇妙な矛盾に直面するに至りました.われわれは,今までに知られてきたことの総和を結び合わせて一つの全一的なものにするに足りる信頼できる素材が,今ようやく獲得されはじめたばかりであることを,はっきりと感じます.ところが一方では,ただ一人の人間の頭脳が,学問全体の中の一つの小さな専門領域以上のものを十分に支配することは,ほとんど不可能に近くなってしまったのです.