2012年10月27日土曜日

表出する自分について

 自分で研究をデザインしてみよう,ということで始めた勉強会.具体的に考えてみると,具体的に自分の足りなさや浅さが見えてきて,生半可にはいかない.ある程度バカなのは仕方ないにしても,したり顔で他人の批判キメているような人間になりかけているような気がして,ああこれいかんわ,と思ったところである.
 実際やってみると違う,っていうのは確かにあった.まあ,だからといって,「経験がなければ批判してはいけない」とするとまた,進歩がなくなってしまうんだろうけど.研究をやる人,批判を加える人,双方の体験をしておくことは大切だと思った.やっぱりコミュニケーションというものは,共通点や共感があってこそ,なのだと思うし.


 ぼくは,研修医教育とか,医学部学生→医師っていう,かなり初期の医学教育について調べてみたいと思った.その中で,「よりよい医師」って何だろうというのが大きなテーマになった.もうすこし,問題を特定・具体化しよう.
 医師のキャリアの一番始め,特に初期研修とよばれる2年間をどう作るかというのは重要だとみなされている.その医師にとっての土台作りとして重要になると思われるからである.ここでの土台とはつまり,適切なプライマリケアを実践できるだとか,医師としての素養を涵養するだとか,もっとそもそも論的なところだと,医師の仕事ってどう? やりがいや面白さが見付かった? とかいうのもあるだろう.医師というのは短期間に完成できる職業ではなく(他の領域もそうかもしれないが),そうだとすれば「初期目標」というのは自ずと医療技術や,手技の上手下手より,ヒヤリとした経験を指導医に救ってもらっただとか,救急の初期対応ができるだとか,今後一生学んでいくにあたって医師という仕事に愛着や,誇りや,やりがいや,面白さを持てたとか,もちろん,そうじゃなかったとか,そういうものになるだろう.それを可視化してみたいなと思う.それらがアウトカムになりうる.で,教育という曝露のどの要素を持ってくるかだけれど,救急車台数,当直回数,担当患者数あたりは入れてみてよさそう.医学生が病院を選ぶうえで,一応確認する項目ではあるし.多すぎても少なすぎてもダメだ,というところはありそうなので,適正範囲みたいなのの目処をつける意味でもやってみたい.とはいえこの曝露設定だけではイマイチなので,もうすこし本質に迫るようなものを設定しなければならず,ここが難しい.上の先生に聞いてみないといけないような気がしている.


 なんだかもにょもにょ,落ち着かない感じ.研究という形にする作業,捗っていない気がする.自分の内面や問題意識を,形あるものとして認識しなおして,それを世の中に表出していく作業,自分にできてるかっていうと自信がない.いたずらに理論武装してきたところがあるから,その虚な感じにさらに辟易する.
 まあいろいろ言ってもやることは決まっているのだがなあ.

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